こんばんは
七草スタッフ アルテです。
今日、東日本大震災から1年が経ちました。
被災地では各地で慰霊祭が行われていたようです。
各テレビ局も被災地からの中継でこの1年を振り返り、現状を報道していました。
私もこの1年、津波が街をのみ込む映像や原発事故関連のニュースが流れるたびに釘付けになりました。
社長も大きな衝撃を受け、鹿児島で震災が起きた場合
どうやって家族・従業員を守るか、悩んだそうです。
先日、震災から1年を迎えるにあたって被災地を訪れました。
仕事で東京に用事があり、これを機に被災地の現状を見たいとの社長の意向で急遽決定しました。
東京から東北新幹線で仙台まで。仙台からはレンタカーを借りました。
半日しか時間を取れなかったため、
まずは石巻市立大川小学校へ向かい、
大川小学校から海沿いを北に向かい南三陸町へ。
南三陸町から高速に乗り仙台に帰る途中に石巻市石巻港に寄りました。
大川小学校は避難中に津波に襲われ、児童の約7割が亡くなったそうです。
2階建ての校舎が津波にのまれ、周りの家も流されていました。
大川小学校から南三陸町に向かう道中、港のある町はすべて津波によって壊滅的な被害を受けていました。
南三陸町に到着すると、その被害の大きさに驚きました。
高く積み上げられたガレキの山がところどころにあり、
津波に流されず残った鉄筋コンクリートの建物も3、4階部分まで浸水した跡が残っています。
ニュースでたびたび目にする防災対策庁舎も、実際に目の当たりにすると
この建物でもダメだったのかと、津波の怖さを改めて感じます。
石巻市では、高台になっている日和山公園から石巻港を見渡しました。
こちらも被害は甚大で、見渡す限り津波の痕跡が残っています。
石巻港を車で通ると、地盤沈下のためか、海水が溜まっている場所もありました。
私が被災地で感じたことは復興はまだまだ先だということ。
犠牲となった方々の死を無駄にしないため、これから先もこの震災を忘れてはいけない。